|
「オヤジはねぇ・・・天才でしたね・・・」根本顧問と初めてお会いし、弾む話の
中、本田 宗一郎の事を聞いてみた時の第一声を思いだした・・・。
1991年8月5日、悲しみの報せが全世界を駆け巡った。メンバーから次々と電話が
入る。「何かするんですか?」「どうするの?」みんな、同じ気持ちだなぁと思い
様々な新聞を見てみると故人の意志で、葬式・お通夜・弔電・献花一切なしという
前代未聞の対応が書かれていた。「自動車を作っている者が大袈裟な葬式を出して
交通渋滞を起こすような愚は避けたい。もうすぐお迎えが来るが、何もするな。」
生前、こう言っていた宗一郎の言葉を忠実に守った「通夜」はむしろ清々しいほど
だったらしい。
当時、総理大臣だった海部総理ですら門前払いという徹底した統率に本田 宗一郎
という人物のスゴさを改めて感じた。
1991年9月7日土曜日、今まで涼しい日が続いていたのにいきなり暑い。
ぼくとLOVESTEP! 3代目ディレクター河野"こ〜ちゃん"弘を乗せたステップバンは
西名阪自動車道を一路、鈴鹿へと向かった。
新聞発表で葬儀のかわりに「お礼の会」という名目で故人を讃える会を東京本社・
和光・鈴鹿・北九州の各製作所で行われる事を知り、「二人だけでも行こう」と
早朝6時半に待ち合わせをした。前日、なぜか二人とも徹夜という最悪の状態。
こ〜ちゃんがどうしてもステップバンで行くと主張するのでステップでいざ出発。
眠気満開でちょっと後悔したけど行きはこ〜ちゃんの運転なのでちょっとホッと
した。ところが眠いはずなのに、ちっとも眠れない。どんな会なのか全然わから
ない不安と緊張しているのか、いろいろと思いが頭に浮かびちょっとしんどい。
そうこう思っているうちに鈴鹿が近づいてきた・・・・・
午前10時10分、本田技研工業 鈴鹿製作所に到着。
製作所ゲートに「本田宗一郎 お礼の会」と白地に赤で書かれた看板が立っている。
宗一郎の好きな色だ。二人とも緊張した。ゲートの守衛さんに何か言われないか
ちょっと不安だったからだ。一応、二人とも失礼の無いようにという事でネクタイ
着用という出で立ちだが、乗ってる車がステップバンじゃ・・・全然似合わない。
ゲートの守衛さんに「あの〜、お礼の会に来たのですが・・」と言うと「こちら
です。どうぞどうぞ」とあっさり駐車票を手渡された。拍子抜けしたがホッとした。
かなり遠くに製作所が見えるくらいとんでもなく広い駐車場を走り、製作所に近づ
くと、ほとんどがホンダ車で来ているようでNS-Xやビートが停まっている一番会場
に近いところにステップバンを停めた。もちろん、ステップはぼくたちだけだ。
かなりの人数の人々がもうすでに来ていて、続々と会場に入っていく。すると何十
人というホンダの社員の人たちが整列をしていて「おはようございます」と深々と
御辞儀をして挨拶をしてくれた。全員、昔から変わらぬ白い作業着を着て紺ライン
にHONDAと入った作業帽をかぶっておりキビキビと挨拶をしていた。その清潔感は
いろんな本に書かれているホンダイズムそのものでぼくは最初の感動を受けた。
社員の人たちの挨拶をくぐり抜け、まず一階の展示コーナーを見る事にした。一階
では今までのホンダの歴史を飾った初期のオートバイと自動車が展示されていた。
今でこそ「ホンダコレクションホール」が鈴鹿ともてぎにできているが、10年前は
まだ無かった。写真では見た事のある名車がズラッと並んでいる。ホンダA型・ドリ
ーム号・CB750初期型と歴代のバイクが続く。ドリーム号の前でオッチャンたちが
ワイワイしゃべっている。「おーおー、キレイなん探してきおったのぉ」「ワシ、
この時のん、いっちゃん好きやったなぁ」おそらく今はプリモやベルノを経営して
いる昔からのホンダディーラーの大将だろう。バイクでの話は尽きない。
その続きには自動車が展示されており、ぼくらの眼を奪った。
そこには新車か新車同然のまさにホンダの歴史を築き上げた名車がズラリと並んで
いた。TN360・N360・S500・1300クーペと続き、その奥にはホンダがF-1に
チャレンジし、メキシコGPで執念の優勝を勝ち取った伝説のF-1マシン RA272が
展示されていた。ぼくもこ〜ちゃんも興奮していくのがわかった。
|